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基礎演習U 発表 (2003年7月15日) 観光における「ほんもの」と「にせもの」について: 真正性(authenticity)に関する一考察 【構成表】 序(問題の所在) 1 「ほんもの」を見る観光、「にせもの」を見る観光 1.1: 「ほんもの」を見る例 1.2: 「にせもの」を見る例 1.2.1: 大塚国際美術館 1.2.2: 観光地の擬似イベント 2 観光客にとっての「真実」 2.1: 観光客はまがいもので満足しているか? 2.2: 「演出された真正性 staged authenticity」 3 観光の「よろこび」とは何か 3.1: 観光客は何によろこびを見出しているのか? 3.2: 「にせもの」によろこびを見出すのはなぜか? 結語(観光地の課題) ○ 序(問題の所在) 我々が観光旅行で見ているのは「ほんもの」なのであろうか、それとも「にせもの」即ちまがいものを見ているのだろうか。一般に、オリジナルの展示・イベント等を見ていれば一応「ほんもの」を見ているということになるだろう。しかし、その鑑賞態度をよく観察していると、観光客は、我々が普段の生活で体験する事柄とは違った何か別種の経験をし、その別種の経験自体を楽しんでいるように見受けられる。他方で、我々は「にせもの」を見させられていると知った上で、それを楽しんでいる場合がある。それではいったい、観光客はどのような事柄によろこびを感じ、見物を楽しんでいるのであろうか。それを知ることによって、我々は観光地というものが追求していくべき課題の根本的な原理を得ることが出来るであろう。 ○ 1「ほんもの」を見る観光、「にせもの」を見る観光 1.1: 「ほんもの」を見る例 ルーブル美術館に行ってレオナルド・ダ・ヴィンチ画《モナリザ》の実物(オリジナル作品)を見る観光客たち。《モナリザ》専用の部屋に大勢集合して大声で会話し、記念写真を撮っている。絵画を鑑賞する態度とは程遠い。 →図版などで見知っている名画を「確認」する作業。 1.2: 「にせもの」を見る例 1.2.1: 大塚国際美術館(徳島県鳴門市 http://www.o-museum.or.jp/) に行って世界の名画の模写を見る観光客(参考資料参照) →コピー作品であることをあらかじめ了解した上で、オリジナルを見るときとは別種のよろこび・感動を得ている。(決してまがいもので満足しているのではない。) 1.2.2: 観光地の擬似イベント 地元の祭り、郷土藝能・伝統工藝等の一部分をショーとして演じてみせる。 (例)スコットランド古城でのバグパイプ演奏、京都西陣織会館の「着物ショー」 (http://www.nishijin.or.jp/)など。 ○ 2 観光客にとっての「真実」 2.1: 観光客はまがいもので満足しているか? 否。 →観光の中に観光客なりの真実を求めている。(cf. 稲垣, 2001: p.259. Cohen, 2002: p.270) (これは、MacCannellが1973年に提唱した考え方である。cf. MacCannell, Dean. "Staged Authenticity: Arrangements of social space in tourist settings." American Journal of Sociology. 79 (3). 1973: 589-603) 2.2: 「演出された真正性 staged authenticity」 観光で経験することで重要なのは、展示やイベント等が「ほんもの」か「にせもの」かという問題ではない。「ほんものらしさ」をいかに提供しているかということである。したがって、そこでは必ず「演出された」性格を帯びる。(cf. 大橋, 2001: p.175 「演出された真正性」MacCannell) ○ 3 観光の「よろこび」とは何か 3.1: 観光客は何によろこびを見出しているのか? なぜ「演出された」ものをよろこぶのだろうか? ("staged"=「劇場化された」) 劇場(演劇・映画など)で受けるよろこび: 観客は舞台上の出来事が「作り物」であり、一種の錯覚であることを承知して見ている。しかしそれは、どこまでも「ほんものらしく」作られたものでなければならない。一つの演劇(または映画)作品としてよく調和し首尾一貫して完結しており、その中には「自然の真実」とは異なった別個の真実がある。 (ゲーテ: p.154 「藝術の真実」「詩的真実」 ただし、この場合の藝術とは、狭い意味での藝術作品に限定されない。) → 実物にそっくり似ていれば良いというものではない。そこにオリジナルとは異なった独自の世界が繰り広げられていなければ、見ていても感動しない。 (成功例)東京ディズニーランドの各種イベント 3.2: 「にせもの」によろこびを見出すのはなぜか? 人間は元来模倣する(真似る)ことを好み、模倣によって学ぶ。模倣されたものを、それが何であるか見出すことに、人間は大きな快感を覚える。(アリストテレス『詩学』第4章: 邦訳 p.27-28) → 模倣された世界(=「にせもの」)の中に、我々は何かを見出し、それに気が付いたときに大きなよろこびを得る。仮に「演出」によって騙されていることを知っていたとしても、そこに新たな楽しさを見出せるなら、それを良しとしている。 (例)TDL「プーさんのハニーハント」はなぜ楽しいのか ○ 結語(観光地の課題) 観光において我々が行っていることをよく考えてみると、オリジナルを見る行為ですら、観光客がみずからに「演出」したものを楽しんでいると言えよう。その意味では、MacCannell等の言うとおり、観光における真正性はあくまで「演出された」ものだということになる。 その「演出された」何かある別種の経験というものは、優れた「にせもの」に共通の、その世界の中にのみ存在する真実(内的真実)である。我々がTDLのイベントに感動するのは、単にアニメーション映画のキャラクターによく似た着ぐるみが目の前で動いているからではなく、そのイベントの中でよく調和し首尾一貫した独自の世界が展開しており、そこに我々が各自なりに新たな発見をするからなのである。 では、観光において「ほんもの」が果たす役割とは何であろうか。我々は「ほんもの」それ自体を楽しんでいるわけではないとするなら、「ほんもの」の価値とは何なのか。この場合、「ほんもの」は、観光地が目指すべき目標・指標の役割を果たすと言えるであろう。観光地をプロデュースする側が「どうせ『ほんもの』ではないのだから、この程度のもので良いだろう」といういい加減な態度で中途半端な展示・イベント等を提供しても、訪れた観光客は鋭くそれを見抜いてしまうものである。我が国に数多くあったテーマパークのほとんどが経営不振に陥り、そのいくつかは倒産に追い込まれている一方で、厳しい自己管理とより上質のエンターテイメント追求のために妥協しない姿勢を続けるテーマパークが好調な理由は、まさにここにある。 こうしたことから、観光における「ほんもの」と「にせもの」、すなわち真正性の探求によって、我々は以上の、観光地というものが抱える本質的な課題を知ることが出来るのである。 【参考文献】 〈図書・雑誌論文〉 アリストテレス『詩学』、松本仁助・岡道男訳『アリストテレース 詩学・ホラーティウス 詩論』岩波文庫、1997 稲垣 勉 「観光消費」 岡本伸之編『観光学入門: ポスト・マス・ツーリズムの観光学』有斐閣アルマ、2001: 235-261 大橋健一 「観光と文化」 岡本編、上掲書: 169-185 ゲーテ、ヨハン・ヴォルフガング・フォン 『藝術作品の真実と真実らしさについて:一つの対話』、登張正實他編『ゲーテ全集』第13巻、潮出版社、1980:152-156 Cohen, Erik. "Authenticity, Equity and Sustainability in Tourism." Journal of Sustainable Tourism. 10 (4). 2002: 267-276 〈Webサイト〉 「大塚国際美術館」公式Webサイト http://www.o-museum.or.jp/ |